千年桜ノ樹ノ物語

『やあ、初めまして。この文章を読んでくれて嬉しいよ。君が誰かなんて僕にはわからないし、君が僕に言葉を伝える術なんてないけれど、それでも僕は君が大好きだ。心の底からそう言える、ありがとう。 これから僕が記すのは、僕の過去の物語。そして、僕の愛した一人の樹の物語だ。』 「……何ですかこれは」 ある男がため息をついた。パソコンの画面に映し出されている文章。 「地球崩壊以前の資料だ。ある人間の日記という形式らしい……とにかく読んでみろ」 命じる老人に、はいはい、と呟きながら男はファイルを開いた。 『僕の生きる時代、この星では地球温暖化という現象が進行していた。政府は大気中の二酸化炭素量の減少を目標に掲げていたが、人間の怠惰により温暖化はヒートアップしていった。 そんなとき、ある科学者が考えた。「人間全てが植物のように光合成をすることが可能になれば、この問題は解決するのではないか」と。世界はこの提案に沸き立ち、世界中の有能な科学者たちが我先にと研究を開始した。タイムリミットは人類が滅亡するまでだ。 世界の見解は大きく二つに分かれた。 まず一つは、人間に植物のDNAを合成し、植物の機能を持った改造人間(以下植物人間と呼称する)を作ること。当初は全てがこの方向に向かっていたのだが、この研究はあまりにも難航していた。人間の遺伝子が植物を拒否したためだ。 そこで考え出されたのが二つ目の考えだ。植物に人間のDNAを合成し、人型植物(以下人植物と呼称する)を作ること。正直に言って本末転倒もいいところだが、だんだんこちら側に移行し始める病的な科学者も増えてきた。もちろんこれでは根本的な解決にならない。人植物が跋扈する世界になれば、排除されるべきは自力で生産する術を何も持たない人間たちなのだから。』 『僕は研究員として働いていた。仕事は人植物の観察。まだ試験段階にあったソレが本当に世界で生活できるのかを見極めるという係だった。僕はそれまで人植物を見たことがなかったので、01号室と札の下がったその部屋に入るのに随分と勇気が要った。 その部屋は真っ暗で、目が慣れるまでにしばしの時間を要した。よくよく見ると、窓のないその部屋にはカーテンが何重にもあって、廊下からの光を完全に拒んでいた。 「さあ、こっちだ」そう呼ぶ先輩研究員についていくと、カーテンの向こうには人工的な光が灯っていた。所狭しと置かれた大量の機械が発する光。その光はあまりに薄かったが、人植物の姿を確認するのは容易だった。それは真っ白で、自分から光を発してすらいるような錯覚を覚えた。暗い部屋のなか、まるで壁に磔にされているような姿勢で固定されている。伸びた真っ白な髪からはところどころ葉が生え、身体のあちこちにコードやホースなどが接続され、全てが機械に繋がっていた。 「これが今の研究上最先端だ」研究員は言うと、赤いスイッチを押した。人植物の身体が跳ね、数秒の間を置いてからゆっくりと目を開けた。 「光がなくても成長する。ただそこに生活しているだけで、水さえあれば酸素を発生させることが出来るのだ!」研究員は高らかに笑った。 真っ白な人植物は、男性と女性のどちらをモデルにしているのかすらわからなかった。それはとても美しく、身体は細く、整った顔立ちに長く波打つ髪。僕はそれから目を離すことが出来なかった。人間なんかとは比べていけないような神聖さがそこにはあった。』 男はマウスのホイールを動かし、文章を読み進めていった。地球の人間は何故滅んだのか。どんなことを考えながら死んでいったのか。それが知りたいと思ったからだ。 なのにこの文章は、『僕』と名乗る男の主観でしか話が進まない。何の意味があるのだ。ただの植物狂いの馬鹿野郎ではないか。 この星には植物が溢れている。どれもこれも人型なんかではないし、神聖さなど欠片も感じない。 彼は一体何が伝えたいんだろうか。 『研究員が去った後、僕はソレに話しかけてみた。すると予想外なことに、ソレは言葉を理解するようだった。まともに言葉を学んでいないせいで酷く聞きとりにくい発音ではあったが、ソレと話が出来ることが私には嬉しかった。 私はソレを「リリア」(何処かの言語で「光」の意味)と名付けた。リリアは僕の事をロズと呼んだ。由来はあるらしいが、リリアの壊滅的な文法を理解するのはなかなか難しい。』 『今日はリリアに外の話をした。この暗い部屋の外、研究所の外。青い空と緑の大地、街には人が、海には魚。そんな話をするとリリアは楽しそうに聞いていた。ぽつりと言った「外に出てみたい」という言葉に、僕は反応しようがなかった。僕はリリアを外に連れ出すことなんて出来はしないのだから。』 『リリアは光がなくても生きられる。しかし植物は光を求めるものだ。僕が部屋に入る時、ほんの一瞬カーテンの隙間からのぞく廊下の光をリリアは懸命に求めている。 生まれた時から実験体で、光に触れることすら許されず、人間達から奇異の目で見られる気分は決していいものであるはずがない。』 『リリアの髪が伸びてきた。それと同じくらいじわじわと、リリアは「植物」に近づいてきている。髪の一部は堅くなり、木の幹のようになってきた』 『最近リリアは笑うようになった。語彙も多い。「ロズ、また外の話を聞かせて」なんてせがむようになってきている。正直もう、僕にはリリアが人植物だなんて思えない。』 ……さっきから何だ。かなりのデータ容量が『リリア』とやらとの日常生活の記録で埋まっている。初めて彼女が出来た高校生か。 適当に斜め読みしていくと、あるファイルが気になった。ダブルクリックして開いても、内容は一文だけ。 『僕らは ここから逃げなければならない  』 それが最後のファイルだった。 「な……んだ、これは……?」 しばらく思考していると、横から老人が声をかけてくる。 「読み終わったか?」 「ええ。……しかしこれでは、」 意味が。そう言おうとした瞬間、目の前に1枚のデータチップが差し出された。 「恐らくその続きの文章だ。だが、劣化が激しくてな……ほとんど読み取れん」 「構いません」 そう言ってチップを受け取り、パソコンに入れる。『リリア』と『ロズ』の辿った軌跡を知りたい、と思っている自分を感じながら。 『リリアは失敗作だったよ だ。研究所の方で廃棄が決定され いたらしい。僕らはここから逃げなければいけない。どうす ばいいんだ。どうしたら。リリアを置いてなんていけない。』 『』 『僕らは走 た。リリア 泣いたから。外に出たいと。光を見たい 。だから外へ。』 『』 『』 しばらく読み取りが困難なファイルが続いたが、不意にまともに読めるものが現れた。 『僕はどうしたらいいんだろう。いつか違う人がこの文を読んだときのために、僕は結末をここに記すしか出来そうにない。 僕とリリアは研究所から逃げ出した。逃げ出そうとしたんだ。しかし研究員たちは執拗に追ってきた。ただ僕らは走った。自由の為に。 ふとリリアは止まって、空を見上げた。「ごめんねロズ。時間切れみたい」そう言ったリリアは、もう身体の半分以上が植物と化していた。 今まで光を抑圧されて生きてきたリリア。急に太陽光を浴びて、一気に成長が進んだのだろう。 「リリアはもう逃げられない。だからロズだけ逃げて」そう、笑った。そしてリリアは枝を伸ばして研究員達がこちらに来られないように足止めをした。研究員は怒ってリリアに火を ここからあとは覚えていない。 今は夜だ。周りに研究員はいない。ただリリアだけがいる。真っ白なリリアは物言わない存在になっても美しい。 僕はきっとここで消えるのだろう。ああ、桜の木の下には死体が埋まっているというし、僕がここで死んだらリリアは紅くなってしまうの だろ   か     』 文章はここで終わっていた。男は言葉を発することも出来なかった。 伝わってくる情報はほんのわずか。それでも彼らは生きていたのだ。今では生命などただ1つの例外を除いて存在しない不毛の大地に。 「先生」 男は老人を呼んだ。 「この『リリア』って……もしかして、『千年桜』ですか?」 「ああ、そうだろうと言われている」 千年桜。それは生物の死に絶えた地球という星にただ1つ残る『生命』のあかし。まるで桜が咲いているように美しい、真っ赤な樹。 「そうか……そこに、ロズは」 黙りこんだ男の前に、1つのプログラムが起動した。 「……ん? パスワード入力画面、だな……ヒントワードは『TREASURE』?」 意味は『宝物』。誰の?……しばらく考えてから、入力欄に「rillia」と入れた。だが不正解。 もうしばらく悩んで、「ros」と入力した。パスワードは解除され、短い文章が表示される。 『ロズ。貴方は薔薇のように気高い。 愛する人と一緒に話せて歩けて空を見れて、リリアは世界で一番幸せな植物。 ありがとう。さようなら。 また、会いましょう。』