ndovu

 よろよろと、乾いた土の上を私は歩き続けた。  数週間雨が降っていないせいか、所々に生える草や木もどこか枯れている。空はいつものようにどこまでも晴れ渡っていて、雨とは無関係な顔をしている。  そして私は、どこまでも空腹だった。 ――お腹が、すいた。  もう何日も、ろくに食事をとっていない。それどころか、水すら満足に飲んでいないのだ。もう足取りもおぼつかない。  住む場所もなければ、家族も仲間もいない。もう私が失うものは、何もなかった。それでも、私は歩き続けていた。そうせずには、いられなかった。それはきっと、動物の本能だなんて大袈裟なものではない。  生きたい。ただ、それだけのこと。  どれくらい歩き続けていたのだろう。それこそ何十時間も歩いた気がする。やがて私の目の前に、青々と茂った木々の群れが現れた。そのどれもが同じくらいの高さに育ち、甘い香りのする果実をたわわに実らせている。  私は迷うことなくその木に近付き、目の前にあった実を取ろうとする。が、その時。 「ンドヴが来たぞ!」  大きな声がして、私はそちらを見た。何人もの人々が、こちらに向かって走ってくる。その誰もが、すごい形相だ。それくらい私でもわかる。しかしそれに構わず、私はその実を口に運んだ。  久しぶりに味わう、口の中に広がる心地よい甘さ。それを美味しいと感じる前に、私は本能的に次の果実に噛り付いていた。 「泥棒!」 「出ていけ!」 「ダメだ近付くな!」 「離れろ! ンドヴは何をするかわからないぞ!」 「火だ! 火を持って来い!」  私の周りに十数人の人間が集まってきたが、警戒しているのか、私に近付く者はいない。何か喚き散らしているが、そんなもの右から左へと抜ける。  目の前にある食べ物を食べて、何が悪いというのだろう。彼らが怒るわけが私にはわからない。ただでさえ、この辺りに食べ物はないのだ。食べられる時に思い切り食べておかなければ。私はなりふり構わずに、目の前にある果実を次から次へとむさぼるように口に運んだ。今必要なのは食料。それ以上でも、それ以下でもない。  その時、前の方から、火のついた棒をもった男が走ってくるのが見えた。さすがに身の危険を感じてその場を離れ、急いで反対方向へと走る。いつも以上に、もつれそうになる自分の足がもどかしい。それでも私は、動かない足を必死に動かした。何とか距離を離すことには成功したが、それでも彼らは追いかけてくるのをやめようとしない。  コン、と。すぐそばの地面に、何かが落ちる。見ればそれは、先程と同じような火のついた木の棒だった。次から次へと、それは私に向かって投げられる。それを見て私は、彼らにはっきりと恐怖を覚えた。  やめて、と。私は彼らに向かって叫ぼうとするが、カラカラの喉からはそれさえ上手く出てこない。私にはただ、逃げることしか出来なかった。それしか出来なかったのだ。  ふと、走り続けていた私はその気配を感じて立ち止まる。目を向けた先で、木々の影から人がわらわらと出てくるのが見えた。それだけではない。周りの至る所から、同じように人は出てくる。いつも間にか私は、周りを囲まれている事に気付いた。  どこか弱そうな所から強行突破するしかない。そう辺りを見回した時、私は見た。一本の木の上で、一人の男が銃口を私に向けているのを。私が反射的に背を向け、駆け出そうとしたその時。  銃から、音が発せられた。  時間が、止まった気がした。  次の瞬間。私の背中に、何かが突き刺さったのがわかった。体に鈍い痛みが走る。今すぐにでも取り去りたいが、私の手ではどうやっても届かない。  その間に後ろから来た人々が、前の人々と合流する。四十近くいるのではないだろうか。手に火をもった人々が、私の周りをよりかたく囲む。どうすることもできず、彼らの真ん中で私はひとり、よろよろ右往左往とした。  彼らはなぜか私から一定の距離をとり、それ以上近付くことも、何かをすることもなく、ただ黙って私を睨むように見ていた。まるで、何かを待っているかのように。  しばらくその状態が続いた時だった。ふと、私は自分の体に違和感を感じた。  力が、入らない。  元より足もおぼつかなかったのは確かだが、ここまで酷くはなかった。が今はどうだろう。先ほどまで歩けていた足はふらふらとして、強く一歩踏み出すことも出来ない。それどころか、気を抜けば倒れていまいそうだった。時間が経つ毎に、それはより酷くなっていく。  ついに、私の体はその場に倒れる。頭がぐらぐらする。もう意識さえ飛びそうだ。がこのままでは、私は彼らに捕らわれ殺されてしまう。残る気力をふりしぼり、手をつき足を踏ん張り、ふらつく体で私はゆっくりと立ち上がった。すぐにまた倒れてしまうが、それでも私は再びゆっくりと立ち上がる。彼らの見つめる中で、倒れる度に私は立ち上がった。  何度も、何度も。  死にたくない。その思いだけを胸に。  何回それを繰り返しただろう。やがて起きようとついた私の手が、がくんと力なく折れた。もう一度試してみるが、やはり踏ん張ることが出来ない。そのまま、私はそれ以上動けなくなった。  そんな私を見て、周りにいた人々が大きな拍手と歓声を上げ、一斉に私の元へと近付いてきた。すぐ傍まで来た男たちが、私の手足や体を踏みつけながら口々に言った。 「おい、ついにやったぞ!」 「ざまあみろ、この!」 「これでやっと安心して暮らせるぜ」 「この化け物が!」  どこからともなく、私に向って石が投げつけられる。そして男たちは私の体に縄が巻きつけ始めた。私は必死に手足を動かし抵抗を試みるが、この人数相手に、今の私が敵うわけもなく。私の両手両足は、きつく締めあげられる。その力の強さに私は、内心悲鳴を上げた。  そんな私の状態に安心したのか、女や子供達も私の目の前までやって来た。一人の少女が拳を振り上げ、私の腹に叩きつけながら言った。 「人殺し! お前なんかいなくなればいい!」  その仕打ちに、私は静かにそっと目を閉じた。  その時、どこからかエンジン音したかと思うと、木の影からトラックがやって来るのが見えた。それに気付いた人々が、やっと私から離れ始める。そして最後に、一人の男が私のすぐそばに立ち、周りでこちらを見ている人々に対し、これ見よがしというように、私の体を叩きながら言った。 「見ての通り、村を襲う凶暴なンドヴは捕まった。もう誰かが怪我をしたり死ぬ心配はいらない。これからもみんなで協力して、この村を守っていこう」  男の言葉に、その場にいた全員から拍手と喜びの声が上がる。それが鳴り止まぬ中、私の体は大きく口を開けたトラックの中へと運ばれていく。  なぜ、私がこんな目に遭うのだろう。  見た目が違うから? 彼らじゃないから? 生まれた場所も、育った環境も違うから?  その答えを私は知らない。きっと一生知ることはない。知ることは出来ない。私には彼らがわからないし、きっと彼らも、私がわからないのだろう。  それでも。  わかってほしい、と。そう思ってしまう私は、どこまでも愚かなのだろうか。  私の体が、冷たいトラックの床へと横たえられる。私は思わず呻き声を上げた。それが何という感情からくるものなのか、私にはわからなかったけれど。  これから、どこへ連れて行こうというのだろう。それすら私にはわからないのだ。今、私にわかる唯一のことは。  もう、ここには二度と戻って来られない、ということ、だけ。  きっと私は、何があっても昔のようには戻れない。私の家族も、仲間も、暮した土地も、もうどこにも存在しないのだから。もう、私が生きていける場所は、どこにもないのだから。  きっと私は殺されるのだろう。万が一殺されなくても、きっとろくな生活は待っていないのだろう。おそらく狭い鉄格子の中に閉じ込められ、一生危険な生き物として扱われ続けるのだろう。  どうして許されないのだろう。  自然に生き、自然に死ぬという、ただそれだけのことが。  それだけを、私は望んでいるのに。他には、何もいらないのに。  やがてトラックの扉が閉められ、私は闇の底へと落とされた。  ndovu …… (スワヒリ語)