校長の憂鬱
群馬高専には、昔から密かに噂されている伝説があった。 “西湖には河童がいる” 運良く西湖にいる河童に出逢う事ができれば、その者の願いを一つだけ聞いてくれるのだそうだ。実際、遭遇者は少ないものの、河童にあって願いを叶えて貰ったという。そういう訳だから皆こぞって西湖へ河童に会いに行く。だが、なかなか遭遇しない。 “河童は、一人で会いに行く” 集団では、会ってくれない。 “会いに行くなら夜” 夜一人でいくのを恐れて、朝方や昼に行っても会ってくれない。 “お供え物は胡瓜以外” 何故か西湖の河童はグルメなのだ。 以上を完璧に守り、尚且つ河童に気に入られなければ、会うことができないのである。 ** 満月の夜。ヒュウヒュウと冷たい風が吹き付ける。 彼はブルリ、と身を震わせた。 「全く、毎度毎度…、嫌になる」 明日出勤できるだろうかと心配しながら溜め息をついた。 彼は顔も体も緑色で、亀のような甲羅を背負っていた。頭を見てみると、月光に輝く美しい皿。足元を見てみると、彼の足には水掻きがあった。 彼は河童だ。180度回転しても、360度彼を見回してみても、河童だ。だが、なんだか様子がおかしい。 彼は、「よっこいしょ」という声をもらしながら甲羅を下ろした。背中をみると、そこには普通ないはずのチャックがあった。 「河童のふりっていうのも大変ですね」 河童…のふりをしていたオッサンは溜め息をついた。 ** 僕は何故こんな事をしているのでしょうか…。そもそも、どうして校長の僕がこんな事を。元凶は前校長の本間さんだ。なんであの人は変な考えしかできないんだ。 西湖に住む河童になって生徒の悩みを聴くだなんて馬鹿げてる。夏場は水が温くて耐えられるが、冬は極寒だ。寒くて寒くてたまらない。 っていうか虫が凄いんだが。虫除けスプレー今週だけで一本使い切ってしまったし…。 西湖からは変な泡が立ってるし。これ衛生的にヤバいだろ。 文句をいつものようにたれていると、奥の方からガサガサッ、という草をかき分ける音がして、僕は慌てて水場に近い草むらの中に身を潜めた。 「河童様、河童様…、いらっしゃいますか?」 今夜は女子生徒か。 ウチの生徒…じゃないな。セーラー服を着ている。群馬工専は私服だからな。 彼女はトボトボと西湖に近づく。…美人だ。 よし、悩みを聞きにいこう。 僕は冷たい水の中にわざと音を立てて入った。嗚呼、気持ち悪いよ、西湖はいつも。 「河童…様?」 彼女は僕に気づき、尋ねた。僕がいかにも、と言うと彼女は嬉しそうに笑みをこぼした。 僕は、本間さんが残していったメモに書かれた、最初の台詞を言った。 「私はこの西湖に住まう河童なり!迷える少女よ、ここまできた褒美に何か一つ願いを叶えてやろう」 「本当ですか?なんでも願いを一つだけなら叶えて下さいますか?」 僕は頷いた。こんなに、真剣に問うてくるなら、きっと「世界征服」だの「成績上げて」だのくだらない事は云わないはずだ。 「…じゃあ、この学校の赤点を60から50に下げて下さい!」 「嗚呼、そーきたか」 「えっ?」 「あ、いや…何でもない」 そーくる?そーきたか。 「なんで、君はそうしたいんだい?」 「友人がピンチなんです。もしつぎ100点取らなかったら留年確実で…」 20点以下取ったんだね。友人乙。次があるさ。また来年頑張りましょう、以上校長激励終わり。 「河童様、助けて下さい!」 えぇええええ、無理無理絶対無理だってば。校長の僕でも限界が…。 「だめ、なんですか?」 「え…?」 「仕方がありません…、こうなったら別の河童様に…」 ちょっと待とうか。別の河童様って他にも河童いるの!? 「日本海に…」 海ぃいいいいい!!!ってあれ?河童って…。河童って川に住んでるんじゃ…?淡水魚じゃないの?海水でも生きられるの!? 「そ、そこまでしてその友人を…?」 「はい」 あぁああぁぁああどうしようか僕! 全くそもそもこんな伝説を作った前校長の本間さんがいけないんだよ!! 僕は悪くない!! 「わ、分かった…、考えておくよ」 「本当ですか!?ありがとうございます!」 彼女は飛び跳ねて喜んだ。 「河童様、ありがとうございます!」 お礼を述べながら僕に手を振り去っていく。 …願が叶った生徒達の笑顔を見れるのはいいが、やっぱりこの仕事は辛いです。 「赤点か…」 僕がそう呟くと、嘘のように静かだった西湖からブクリ、と泡が立った。