楽園。個人的には、地獄。

 今私はとっても憂鬱だ。  サスペンションもシートも堅く、地面のでこぼこが全部体に跳ね返ってくるおんぼろ車。こんなことは乗り慣れてしまえば、疲れるだけで何も思わない。似たような、名前の知らない木が永遠と続く錯覚を覚える山道。もう飽和してしまった。テレビさえない、親戚の家に泊まる。もう車に乗ってしまったのだから、今更文句なんて言えない。こんなことが積み重なったぐらいじゃ、私は憂鬱にはならない。本っっ当に嫌なのは。  「……なんで……っ、……」つぶやきかけたが、ぎりぎりこらえることができた。  心の中では無理だったけど。  ……なんで、よりによって、いちごを作っている家に泊まりに行かなきゃならないのよっ!!  私は、いちごが大嫌い。  何でかわからないけど、親戚やその知り合いが毎年示し合わせたようにいちごやいちご製品を送ってくる。それも、大量に。  パンに塗るものがいつもいちごジャムで、しかも量は普通の三倍ぐらい。それでも一年中終わらない。むしろ余って冷凍庫に堆積している。私が食べなくなってから、堆積ペースが上がったらしい。  食後に出てくるデザートが必ずいちごは行ってるとか、ほかにもいろいろ。これじゃあ嫌いになるのは当たり前だと思う。  親だって私がいちご嫌いなのを知ってるはずなのに、なんで、よりによって、いちご、農家を、選んだ、のだ、ろう、か。……私は脳内で暴走していた。  大丈夫、と何度目かの暗示を脳内でつぶやく。今は八月。今の季節なら、いちごがあるわけない。出てきても冷凍した加工品だろう。だから、冷たさで味が麻痺してくれる。きっと平気。  ……考えるだけで疲れる。私はいい加減寝てしまおうと思って、目を閉じて、意識を内側に向けた。  私の暗示は無残にも崩れ去った。きれいに、完璧に。  泊まる家についたときには夕食の時間になっていた。初めて見る家。だけどどう見たって古い。暗くたってわかる。この家の写真をメールで送ったら、きっと返信内容は草むらだろう。  すぐ夕食をご馳走になった。夕食までは普通だったのに。  デザートに生のいちごが出てきた。  正直夢だと思った。だって夏にいちごって……  「ああ、これはうちで最近品種改良したんだよ」とかさらっと言うな。そんな資金がどこにあるのだろうか。そんなことより今すぐこれを下げてほしい。  「品種改良したばかりだからそんなに量がないだろう」と思って(暗示して)、仕方なく、いちごを食べた。  そう、このときに、食べたのが間違いだった。正直、農家を甘く見ていました、本気でごめんなさい。  この日は、いちごに出会うことはこれだけだった。明日半日乗り切れば、悪夢が終わる。  次の日、なんと、朝からトーストだった。思わず食卓に向かう足が止まる。ついでに思考も。あぁ、このテーブルは脚を蹴ったら壊れそうだなぁ。……自分の頭がかわいそうだからやめた。  ジャムが何であるかは言うまでもない。しかも、ふと台所を覗くと、ヨーグルトを取り出していた。……私はヨーグルトに何が乗るかを見ないうちに視線を外した。  視線を外した先にあるものも、同じものなのだけれど。  もうめいっぱいジャムを節約して、味を感じないように急いで飲み込んだ。  「そんなに急いで食べたら、味がわからないよ」と、おじさんが苦笑している。「うるさい黙れわざとそうしてるんだこっちは」とは、口が裂けても言えなかった。  たぶんこのまま家にいたら、きっとまだまだ出てくる。私は、「町を見てきたいんですけど……」と言って、脱出を試みた。「それなら自転車を使っていいよ。結構遠いからね」と自転車付きで了解がとれた。……快諾されると逆に怪しいんですけど。まあいいや。  私は油の切れた自転車を借りて、町へおりた。  町にいた間は忘れていた。夏だから当然出会うこともなかったから。  家に帰って、昼食を目にしたときには死ぬかと思った。それにそれを混ぜるな。それが一般人の感想。だけど、親戚に向かってそんなことは言えない。たぶんこれが最大の山場だ。だからこれを超えれば、きっともう帰るまで出てこない。  そう思い直して、目の前の、いちごソースのパスタに目を向けた。  絶対に合わない。あり得ない。罰ゲームかこれは。  味わいたくないので、朝飯と同じように、急いで食べる。不審がられない程度に。 しかしいちごのソースに勝つことはできなかった。ソースというのは液体のことである。液体というのは、つまり、液体である。  液体は、口の中で広がるものだ。  現状を表現するなら、 心の声:いちご〜〜〜〜……覚えてろよ…………  こんな感じ。  この悪夢の昼食をたいらげるのに、私は一時間も使ってしまった。それはつまり、一時間も味わい続けたということ。この屈辱はたぶん一生忘れないだろう。  食休みも終わって、私はまた町へ降りた。トレーニングも兼ねて、ランニングで。さっき、見たりなかったところを、見て回る。  こうしていれば、勧められる危険がないのが、一番うれしいというのは秘密だ。あ、友達にお土産を買おうかな……  現実逃避ができるのはこのときだけのようだった。  帰ったら、アレが用意されていたのです、マル。  もう見ることはないと思った。だってもうすぐ出発するんだから。  ここでどうしようか迷った。いただこうか、遠慮しようか。前者は面子が保てるが、後者なら私の感情が保てる。これはどうやらとっても難しい判断みたいだった……  ここでどう決断したかは、ご想像にお任せします。  帰りの車の中で、私は安心して、もう全力で眠っていた。  車に、アレが乗っているとも気づかずに…………