二月二十三日水曜日

 二月二十三日。  忘れもしない、この学校に入学を許可された日のことだ。 「……合格した」 「そう、おめでと」  以上で会話終了。彼女は再び、自販機で購入したカフェオレを飲み始めた。それ以上何も続かず、ベンチに座ったまま動く気配もない。世間話だって、もう少し続くだろうに。 「それだけ?」 「? 合格祝いみたいなの、約束してたっけ」 「いや、特に何も」 「じゃあ、他にこの話題で話すべきことはない」 ばっさり会話を拒否されたが、別に仲が悪いわけじゃない(と俺は思ってる)。初めて話してから二年くらい経つが、ずっとこの調子だし、俺の同志(もといライバル)も同じ扱いだ。  俺の中学で、高専を志望したのは三人。知ったのは、部活を引退してすぐのときだった。各学年に二クラスずつしかないこの学校で、三人は異常だと先生に言われたのも、丁度この時だった(去年まで、一人いるかどうかくらいだったらしい)。まぁ、同じ市内といえど、高専と中学はその両端にあって、気分は市外。それに受験した俺が言うものじゃないが、やや変わった学校だ。候補にいれるような物好きは少ないのだろう。 「ないって……あいつがこっち来るまで、俺はどうやって時間を潰せばいいのさ? ほぼ手ぶらなんだけど」  さっき、大量の書類を渡されたが、青空の下(しかも学内)で読む気は全く起きない。 「自転車押して中学に向かう」  即答。 「待たずに帰れと?」 「道分かるし帰れるでしょ……多分途中で追いつくよ」 「それ酷い」 「……なら、合格祝いにジュース一本奢ってやろう。それで三分くらい時間潰して」  彼女はメンドクサオーラを放出しながら腰を上げ、自販機へ直行。俺が『面倒なら別にいいのに』とか『女子に奢ってもらうのもなー』とか『でも喉渇いたな』とかくだらないことを考えているうちに、彼女は小銭を入れてこっちを見ていた。他にも自販機はあるのだが。内容量十パーセント増≠ノ目がいって思わず選んだのは炭酸で、『一月にこんな冷たい炭酸て…』とか『でも百円だしな』とかまたくだらないことを考えた。  あー、冷たい。持ってるだけなのに。 「それ、海で飲むものじゃないの?」 「……ここ、海なし県ですけど」 「海イコール夏。少なくとも、冬に飲めるものじゃない」  彼女は次のカフェオレ(今度は違う会社のだった)を選んで、って……。 「九十円のもあったのか……」 「呼んだ?」 「いえ、別に」  彼女が戻ってきて、座れと言わんばかりにベンチを叩くので、大人しく座った。  生徒、保護者、先生。結果を見に行く人と、帰る人。  目の前の道をたくさんの人が歩いていく。受かったのか、落ちたのか。表情で分かる者も、分からない者も。皆同じ方に返っていく。  そんな人達の中に、見知った顔があった。同じ塾に通っていた、隣の学校の生徒。名前を知ってやっと、小学校の同級生と分かる程度の顔見知り。  目が合った。  彼は軽く手を振り、少し……本当に少しだけ笑った。俺も彼も何も言わず、彼は歩みを止めなかった。  あぁ、ダメだったんだ。なんとなく思った。 「飲まないの? 今頃遠慮されても、私こんな時期に炭酸飲まないよ」 「…頂きます」  冷たいし炭酸強いし、味がよく分からなかった。 「二人して、何で先行くんだよ!」  待っていた奴がやっと来た。やっと≠ニいっても合格祝い兼時間つぶしの炭酸飲料は、多分半分以上残っている。十パーセント増、恐るべし。 「二人と違って、見てても意味ないでしょ」  飲み終わったのか、彼女は持っていたカフェオレのカップを潰す。 「私の受験番号、載ってないし」  と、彼女……もとい同じ中学出身の高専生≠ヘ答えた。副音声はきっと『当たり前でしょ』。 「どーせ来てんですから、探せばいいじゃないですか。自分と同じ受験番号の奴が受かってるかもしれないし」 「中学の卒業式より前に忘れた」  今日、高専の学生は原則立ち入り禁止らしい(そりゃそうだ)。だから彼女は、わざわざ中学の制服を着用して侵入している。そこまでやるからには何か目的があるのかと思っていたのだが、『ダメと言われたらやるべきだよ』と学校侵入前に言っていた。  他に何か無いのか。 「ちなみに、俺が合格するのを信じてたって展開は……」 「ない」 「ですよねー! 期待はしてませんでした! で、そっちは? 先輩に拉致られたとか?」 「いや……皆結果を見に来てるわけだし、もう分かってる奴がずっといても邪魔かなーって」 「それもそれで置いてくとかひでぇ」 「ごめん……でも、何でこんなに遅いのさ。受付混んでた?」 「それがさー、受けてない学科のところ見てたんだよ。んで、受験番号無くてパニクってた」  バカだ、と誰かが呟いた(気がした)。 「でも、良かった良かった。両方受かったなら、帰る時気まずくならないネ!」  確かに、俺と彼と先輩だけの帰り道なら、気まずくはならないだろう。 「……そういえば、今年は三人受けたって聞いたけど」 「あー……なんか、親と車で来るらしいです」  彼はどうやら、自分の結果しか見なかったらしい。 「……落ちてた」 「?」「え、マジ?」 「第一も第二も、載ってなかった」  苦手……いや、はっきり言って嫌いな奴だった。志望校が同じだと知った時は、たとえクラスが違ったとしても、同じ学校は嫌だと本気で思った。それくらい嫌いな奴だった。  でも、あいつが落ちて嬉しいとは思わなかった。悲しいとも思わなかった。理由は分からないけれど、残念だった。 「仲良かった?」  先輩は聞いた。 「いや、別に」 「じゃあ平気だよ。良いか悪いか知らないけど……ここの学生って、入学した途端、中学の同級生と一気に疎遠になる奴多いから。……まぁ、落ちた人の分まで頑張って」  ベタな台詞で悪いけど、と先輩は言った。副音声は多分『気にするな』。 「言われなくとも」 「当たり前じゃないですか! この学校行きたくて選んだんですから」 「…………若いなー、中学生って」 「いや、一つしか歳変わりませんよね?」 「何で棒読みなんですか」  僕と友人と先輩の、合格発表日の出来事だ。  あの時は本当に、落ちた人の分まで頑張ろうと思っていたんだ。  …あれから一年経った今、全く気にしていないわけではないけれども。